あのときの、ラジオ
「ラジオの良さは、自分の言葉が直接届いて笑ってもらえること。俺は笑わそうとしか思っていないの。励まそうなんておこがましい。こんな駄目なやつでもしゃべって生きられるんだと思ってもらえたら」大竹まこと
「当時、地元のラジオで流れるのは災害情報ばかり。「サンドウィッチマンが出るなら、その2時間だけ宮城でも放送する」と告げられた。」サンドウィッチマン
「ラジオの良さは、自分の言葉が直接届いて笑ってもらえること。俺は笑わそうとしか思っていないの。励まそうなんておこがましい。こんな駄目なやつでもしゃべって生きられるんだと思ってもらえたら」大竹まこと
「当時、地元のラジオで流れるのは災害情報ばかり。「サンドウィッチマンが出るなら、その2時間だけ宮城でも放送する」と告げられた。」サンドウィッチマン
朝9時30分に「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」と第一声が流れました。受信料は月額1円、受信契約数は約3,500件でスタートしたそうです。
「僕ね、そんなにたくさんの人に聴いてほしいとかね、そうは思わない。でもね、一人聴いてくれてたらね、僕は、もう、いい。
一人が『あのバカの言ってたことが背中を押してくれた』って
思ってくれたらラジオの役目はそこにあるなって思って。」
(大竹まこと)